2018/1/17 外目地区・山の神様新天地へ下山鎮座!
第五寿栄丸さんからのわだいをご紹介します(第4回)
昨年の師走12月28日外目地区の山の神様移転神事の様子です。
棚底地区には2体の山の神様があり、旭の船着き場から倉岳登山道より左右に分けて小崎地区までの左側を内目地区で、ご神体はアイラトビカズラの近くに1体と、南平地区までの右側を外目地区とされ棚底城北東側の沢に1体と、それぞれに田畑および山林宅地所有する家々に守り伝えて現在に至っています。農耕の開始される春に山から迎えた山の神は田の神となって五穀の生育を見守り、収穫後には再び田から山へ帰って山の神となるとされています。そのほか、山の神信仰には山で生産に従事する炭焼き、きこり、木を扱う大工さんなどの奉じる神であります。
外目地区の「山の神様」は、棚底城跡の北東側の沢に、嘉永6年12月(1853年)に棚底の庄屋であった鬼塚寿一朗氏により建立され、その後165年間、先祖代々に渡り崇拝されてきました。
しかしながら、参道には竹や雑木が生い茂り獣道となっており、しかも参拝者も高齢化しここ数年、森田宮司様だけがお参りされている状況になっておりました。
山の神様の祭り(旧暦の11月の第一丑の日)には、竹のカッポに甘酒を入れてカランコロンと音を立てながらお参りし、神前では木を扱う大工さんやお百姓たちが焚き火を囲み、酒盛りをして五穀豊穣と安全を祈願して賑わっていたのをもう一度、山の神様のお祭りで賑わいを取り戻すことは出来ないかとの声が上がり、各地区の代表者で検討しました結果、棚底城跡登り口の新堤の横に建立することとなりました。
当日は30人余りの参拝者及び各地区の世話役の出席を頂き、森田宮司様の神事・玉串奉奠の後で山の神様由来等の説明があり焚き火を囲んで御神酒の振る舞い等があり賑わいを取り戻した1
日でした。
山から腐葉土を含んだ川が海に注ぎプランクトンが発生し、食物連鎖の結果天草の豊穣の海が何世紀に及んで現在に至る訳でありますので今後、未来永劫に次の時代にこの自然を継承していけるように願って止みません。
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